【1.ココロの世界】
世界は
神の正義と悪のココロによって二つに分けられました
◇◆◇
世界は、ある日突然に生まれた。
神様のココロから生まれたのである。
世界には百人の正義と百人の悪が存在していて、互いにどちらがこの世界に存在しているべきか争い、戦い、滅ぼし合っていた。
しかし。
たった一人だけ、そのどちらでもない存在の少女がいたのだった。
◇◆◇
黒く塗りつぶされた空。星は無く、どこまでも果てしなく広がっていて、重く、落ちてきそうなくらい。地面は白く塗られ、あちこちで瓦礫が高く積もっている。相対する空と地面は、不安定な世界の雰囲気を醸し出していた。
そんな白と黒で創られた世界。それが“ココロの世界”だった。
「……今日も、世界は順調に機能中也」
少女だった。小さな体躯から見ると、まだ十二、十三才くらいの子供である。
鉄のような灰色のショートヘアーに、髪と同じ色の瞳。体を包む、くすんだ色のローブが、地を駆ける乾いた風に大きくなびく。
少女は、一人瓦礫の山から地を見下ろしていた。
「……」
その灰色の瞳に写るのは、逃げ惑う一人の男の子の姿だった。
真っ白な髪を振り乱し。赤い目を見開きながら息を切らし。必死に何かから逃げるように走り行く。
もうすぐ来るその恐怖に少年は、恐れから涙をこぼしながら叫んだ。
「嫌だぁ!! 誰か……だれかタスケ」
助けて。
その言葉は、少女以外の誰にも届かなかった。
少年の言葉が言い終わらないうちに、背後から近づいていたその恐怖に。
少年は 呆気なく――切り捨てられた。
ザンッ……!
「ぁ……」
叫び声すらあげられず、伸ばされた手も空を掴んだだけで。真っ白な少年は一瞬にして、ただの砂と朽ち果てた。また地面は、白く染められてゆく。
あの少年がいた場所には、この世界の空と同じ真っ黒な髪の男が手に剣を携え、立っていた。
「フンッ」
男は、消えてしまった少年のことなどどうでも良いというように、すぐにそこから立ち去った。
「世界は、また悪を選んだ也」
高い瓦礫の山の上、少女は素っ気なく呟く。
今し方、目の前で一人の少年が殺されたというのに。まるでそれが当たり前だというように。
「正義はあと六十二しか居ない也。悪はまだ八十二居る也」
淡々と言葉を紡ぐ少女。まるで、それは今の出来事を記録しているかのよう。
「――記録、完了也」
◇◆◇
少女の名前は ミカタといった。
このココロの世界での彼女の役割は、全ての出来事を記録すること。出来事とは、正義と悪の戦争だった。ココロの世界では今、正義と悪が神のココロをめぐり争いが起こっている。
どちらが神のココロに相応しいか。
どちらが世界を支配するか。
これらの事で争いは起こったのだ。
最初は正義も悪も百人ずついたのが、どちらも少しずつ減ってきている。互いに滅ぼし合い、死ねば正義は白い砂に、悪は黒い光となり空へと消えてゆく。
今、ミカタの記録によれば正義は悪に追い詰められている状況だった。このままだと、世界は悪に支配されるのだろう。
「何故に、彼らは戦う也」
ミカタは、地面に寝転び黒い空を見上げた。
「戦えば、仲間は消える也。淋しい也。一人になる也。神のココロはそれほど大切なもの也か?」
分からないと、ミカタは誰かに尋ねるように言う。
「私は最初から一人だから、奴らのことなど分からぬ也」
そっと、灰色の瞳は閉じられる。
最初から正義でも悪でもないミカタに、彼らのように仲間など居なかった。ただ一人で、ずっと全てを見守ってきたのだ。これからもずっと一人で。きっと全てが終わるまで。
自分は何故、全てを記録するのだろうか?
ミカタは今までに何度もその謎に対面してきた。けれど、答えは一度も見つからなかった。
しかし、これが神から与えられた役割ならば、自分はそれをやらなくてはやらない。ミカタは、そう考えるしかなかった。
このココロの世界の事など。
正義と悪の戦いの事など。
自分自身のことすら、ミカタには分からないのだから。
「……っ」
ミカタは不意に目を開いた。誰かが近づいている気配がする。
キュッキュッ。
砂を踏みしめるその音は、徐々に此方へと近づいていた。そして、音が止んだ時、ミカタは空を見上げたまま冷たく言い放った。
「私はミカタ也。お前らと関わる事など無い也。殺そうとするならそれは間違いだ、さっさと去る也よ。」
…………。
「ボクだよ、ミカタ」
すると、上から小さな影がミカタを包んだ。
「……。お前だった也か、ノイン」
そこに居たのは黒い髪をした、幼い悪の少年だった。ミカタより僅かに小さい男の子。
ノインと呼ばれたその少年は、ニコリと笑うとミカタの横に腰を下ろした。
「ミカタはいつもここに居るよね。直ぐに見つけられるや」
ノインが笑うと、口から小さな八重歯が可愛らしく覗いた。
ミカタもゆっくりと起き上がる。すると、灰色の髪に白い砂が絡んでそれは綺麗に流れた。
「ここは見晴らしが良い也。私はここでお前らをいつも見ている也」
この世界で一番高く積み上げられた砂の山。
一番空に近く。
一番皆から遠い。
けれど、ここは遥か遠くまで望めそうなくらいに、世界を見渡せた。
「そっか」
「そう也」
乾いた風が二人を包む。
「……今日もまた、正義が滅んだ也。ノイン、お前らが勝った也よ」
「そっか……」
やっぱり見ているんだね。と、ノインは微笑んだ。
「嬉しく無い也か?」
「どうして?」
ノインは笑う。ミカタはちょっと困った顔をした
「お前らは、互いに滅ぼし合って生きている也。敵が滅んだら良く無い也か?」
「そうだね。正義がいなくなったら、僕らはこの世界で生きていける。でもね、ミカタ。僕は嬉しくは無いかな」
「何故也?」
「僕らが戦う理由。ミカタはいつも考えていたね」
ノインは立ち上がり空を仰ぐ。彼の黒い髪は空に溶け、なおも美しく見えた。
「神は、自分のココロの行く末を見いだせず、この世界を創った也。」
百人の正義と、百人の悪。
そのどちらでも無い、一人の少女。
全ては、神のココロから生まれ落ちた。
「正義と悪を戦わせ、神は自分のココロの行く末を決めようとしている也」
「知っているじゃないミカタ。そうだよ。だから僕らは戦う」
「そうじゃ無い也!」
灰色の瞳を揺らしながらミカタは叫んだ。その声は風には乗らず、砂に吸収され静かになる。
「だから何故戦わなきゃいけない也か? 正義と悪は一緒じゃダメ也か?」
「ミカタ……」
「神は、身勝手也」
ミカタは静かにうなだれた。
「ノイン、お前は何故戦う也」
「……神がそう決めたから」
「じゃあ何故! お前はそんなに辛そう也か」
ミカタの問いかけに、ノインは黙ったまま腰を下ろした。
「……そうだね、辛いよ。仲間が消えていくのは。それは正義も一緒」
戦わなければ殺される。
戦えばどちらか必ず滅びる。
互いにその辛さは分かっているのに、この戦いは止められない。全ては神が仕組んだことだから。
「辛いなら戦わなければ良い也。こんな戦い、私は記録するのは嫌也」
全てを見てきた。
皆が殺され、消えていくのを全て記録し、覚えている。
「多分、それは無理だよ」
ミカタが尋ねるより早く、ノインは言った。
「たとえ戦わなくても、どちらかは滅びる。それも、僕らが」
「何故、分かる也。お前は勝っている也よ」
ノインは空に手を伸ばす。
「この世界の外。もっと遠くの世界では、僕らはどうやらいけない存在らしい」
その証拠にと、ノインは瓦礫の山を指す。
荒れた地面。もっと昔、この世界が生まれた時は世界は違う景色をしていた。
建物があり。住む場所があり。正義と悪はそれらの在るべき場所で生きていた。しかし。
「覚えている?全部僕らが壊したんだよ」
「そうだった也」
「それは、いけない事だったんだ。そして神はそれに気づき始めている。正義こそ正しいと、僕らは存在してはいけないと……」
世界に悪は毒だから。
……。
…………。
「それは、おかしい也」
「そうだね。おかしいよ」
だって――
「僕らにとって、正義こそ悪なのにね」
殺さなきゃ 殺される。生きていたいのは、どちらも同じ。
「やっぱり、分からない也」
ミカタは、ローブを握りしめる。
「……僕も」
悪とは。
正義とは。
「でも、神がそう言うのなら……ミカタにもきっと分かるよ」
また、風が吹く。
「ぁ……」
それは、ミカタにしか聞こえない風の音。
「……今度は、悪が滅んだ也」
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